日本は情報教育の後進国なのか?
豊福先生と教育でのICT活用とプログラミングについて考える

文 星政明/写真 大野真人
小学生でもスマートフォンを持つ子どもが増えた日本。しかし、教育現場での「ICT」(Information and Communication Technology:情報通信技術のことでITとほぼ同義)活用は、OECD諸国(経済協力開発機構:日本やアメリカ、ヨーロッパなどの35か国が加盟)と比べて非常に遅れているそうです。そんな日本の現状と対策について、教育現場のICT化に取り組む豊福晋平 国際大学GLOCOM准教授・主幹研究員にお聞きしました。

Profile:豊福 晋平
国際大学GLOCOM(グローバル・コミュニケーション・センター)准教授・主幹研究員。1995年東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程中退。専門は学校教育心理学、教育工学、学校経営、教育情報化。近年の研究テーマは教育情報化政策、学習者中心の ICT 環境、学校 Web ページを中心とした学校広報、学校評価システムなど。
日本のICT活用は世界水準から劣っている
―豊福先生の研究領域を教えてください。
ひと言でいえば、教育のICT化です。コンピュータやタブレット、スマートフォン、電子黒板などを学校にどう導入し、いかに運用すれば教育に革新をもたらすことができるのか、その方法を研究しています。
――豊福先生から見た、日本の教育現場の現状はいかがでしょうか。
OECD諸国ほか、他国と比較するとICT化は非常に遅れています。日本の学校の先生は、研究授業や公開授業の際にはがんばってICT機器を活用した授業を行います。しかし、それ以外の場面ではあまり使われていません。
――なぜでしょうか。
現在の日本の授業の多くは、先生が作ったシナリオに従って先生が質問し、子どもが答えるというやり方が基本になっているからです。そのような授業のなかでは、タブレットやコンピュータなどを子どもに自由に使わせる余地はほとんどありません。
――ICT化が進んだ国では、どんな使い方がなされているのでしょうか。
スウェーデンやフィンランドなどの北欧の例をあげましょう。授業の最初の数分で課題の説明を受けたら、あとは手元のコンピュータを使ってどんどん個人やペアでレポート作りを進めます。先生が長々と話すシーンはあまりありませんし、コンピュータの操作手順について事細かに指示することもありません。
――なぜ、日本ではそういった使い方をできないのでしょうか。
先生方は、ICT機器を子どもに持たせると授業と無関係にいじってしまうのではないかと、ひどく怖れているからです。
今の日本では、先生の指示以外の操作を「ムダ」だと考える傾向が強い。でもそう考えることが、負担を増やしているのです。指示したもの以外はダメだという前提に立ってしまうと、先生は子どもたちの操作を全部コントロールしなければならず、些細なトラブルでも授業が止まってしまいます。

日本の授業は子どもたちの生活実態と乖離している
――ICT機器を活用した授業を日本で浸透させるには、どうすればいいのでしょうか。
紙と鉛筆、板書と語りを中心とした授業が、はたして現代のライフスタイルに合っているのか、考えなければいけません。
子どもたちはICT機器を日常的に使い、多様な情報を一度に複数処理しています。たとえば、テレビをチラ見しながらYouTubeを楽しみ、さらに、LINEで友だちとコミュニケーションをとったりしています。ところが、日本の授業はもっぱら先生と子どもとの単線のやり取りだけで作られている。もちろん質の問題はありますが、時間当たりの情報量は子どもたちの日常のほうが圧倒的に多いわけです。だから私は、子どもたちの現状に即した学習方法にするべきだと提案しています。
――子どもだちの日常と学校の授業が乖離しているのですね。
はい。インターネットも敵視されがちです。たとえば「SNSを使いすぎると成績が下がる」と言われ続けています。2015年のPISA(OECD学習到達度調査)のICT活用調査では、「(15歳生徒が)平日に学校外でインターネットを利用する時間」を質問しているのですが、回答平均は146分。もっとも長かったのはチリで195分。日本は47か国/地域中で最低レベルの90分でした。
この結果は、私にとって意外なものでした。中高生ならスマホの普及率も高いですから、もっと使っていてもおかしくないのです。子どもたちは「ネットを使いすぎるのは良くない」と学校で教えられているので、正直な利用時間を回答しなかったのだろうと考えています。
もし、子どもたちが正直に回答していなければ、ネットを利用することに対して強い後ろめたさを感じていることになります。学校がICT機器の活用を抑圧したり排除したりする傾向が強くなればなるほど、学習場面だけでなく日常生活でも、ICT活用のスキルを身に付けることはさして重要ではないと片付けられてしまうでしょう。
自分が日々触れるテクノロジーに対して、素直に興味関心を示すことが学校によって歪められるのは、大きな問題だと思います。

子どもの興味・関心を大事にすべき
――社会の潮流に合わせて教育内容も変化するべきですね。
そのとおりです。先も例に挙げた北欧では、ICT機器の活用は授業のみならず、普段から当り前に行われています。スウェーデンのヨーテボリの小学校の視察に行った際にこんなことがありました。
小学2年生の子どもの机の上に、「こんにちは、私の名前は肩です」と手書きの日本語の札が置いてあって驚きました。「肩」は誤訳だと思います(笑)。先生に聞くと、日本語を教えたことはないけれど、日本人が視察に来ることは伝えてあったそうです。その子にどうやったのか尋ねたところ、「Google翻訳」を使って文字を丁寧に書き取ったのだと教えてくれました。
また、デンマークのコペンハーゲンの学校に行ったときには、「こんにちは」と声をかけてくれた子どもたちがいました。彼らは手持ちのiPhoneの「Siri」を使い、デンマーク語を日本語に翻訳して、その場で発音を覚えたそうです。
スウェーデン語やデンマーク語は話者の人口が少ないので、子どもたちは家でテレビや本を見たり、ゲームをやったりするときに、英語に触れる機会が少なくありません。単語がわからなければ翻訳機能も使うそうです。学校でも家庭でも身の回りにあるICT機器を日常的に使い、自分のものとして役立てているんですね。

――学校のICT環境を整備するのは大変だと言われることも日本では多いですが、北欧はどうなっているのでしょうか。
国によって違いますが、デンマークの学校では、「BYOD」(Bring Your Own Device:学習者私有機器の持ち込み)を前提とした環境整備が行われています。そして、学校生活のすべてがICTにつながっています。
たとえば、小学1年生になれば学校のメールアドレスが与えられ、連絡事項は先生からのメールで知らされます。宿題もネットからダウンロードして行えますし、提出もオンラインです。課題として、ブログ記事を書いて友だちからコメントをもらったり、動画編集ソフトを利用して自己紹介映像を作ったりすることもあります。子どもの側にICT機器がないと、学習が成り立ちません。
――日本の「普通」とは違いますね。
日本は家庭での利用がずっと先を行っていて、学校が追いついていない状況です。
せめて、家庭での一般的なICT活用レベルに学校の水準を引き上げようというのが私の考えです。現代の社会はICT機器がないと成り立ちません。子どものころからその環境に慣れ親しんでおくべきですよね。
――日本でも、スマートフォンやタブレットを使っている子どもは多いと思いますが、それでは足りませんか?
子どもに限らず大人もですが、日本でのICTの使い方は何かを作り出すというより、もっぱら娯楽や消費に時間を費やします。それはなぜでしょうか? 学校がICT活用に消極的なために、ICTを使ってモノを作る(知的生産)経験をほとんどさせていないからです。趣味を除けば、知的生産に関係する時間は学校のほうが多いですからね。
――日本では、保護者の方がコンピュータを使わせないこともあります。
それはかえって子どもの可能性を狭めていると思います。
保護者が使っているモノは何でも子どもにとっての「憧れ」であり、将来を切り開く「道具」と映ります。子どもがコンピュータに興味を持っているなら、触れさせてみるのがむしろ自然なことです。禁止をすれば、子どもは「コンピュータを使うのは良くないことだ」と学習するでしょう。
――コンピュータが子どもの想像力を狭めてしまうと反論をする人もいると思います。
大人はバーチャルとリアルを明確に区別して、リアルな経験こそ大切と言いますが、子どもにとっての経験は地続きですし、経験のすべてが貴重な学びの機会です。
たとえば、子どもが何か調べものをしたいと思ったとき、博物館に行くとか、本や図鑑を使うのももちろん良いですが、インターネットで上手に検索すれば、多様な情報に触れることができますね。子どもが興味に没入するパワーというのは物凄いもので、ゲーム攻略法だとか、電車の型式記号とか、恐竜の名前とか、あっという間に調べて吸収してしまいます。
あるいは、コンピュータが答えばかり教えてくれるものではなくて、自分の想像やアイデアを拡げてくれる道具と考えたらどうでしょうか。スマホで写真を撮ってアルバムにしても良いし、コンピュータを使ってお話を作って家族に読み聞かせてもいいし、自分のシナリオでゲームを作って友だちに遊んでもらってもいいわけです。
――使い方次第というわけですね。ネット上のアダルトサイトや暴力的な情報についてはどう対処すればいいでしょうか。
年齢によって対応が異なります。幼い子どもは問題のある情報を見てショックを受けてしまうので、上手く制御する必要があります。検索サイトのサーチフィルタ機能やフィルタリングのソフトを使うといいでしょう。

プログラミングは、子どもが作りたいモノにアプローチするための一手段
――プログラミング教育が小学校にも導入されようとしています。その意義は何でしょうか。
なぜプログラミング教育が必要かということに関して、いろいろな人がさまざまな答え方をしています。その一つに、「将来の仕事につながるから」という回答があります。
たしかに、子どもがプログラミングに対してプラスのイメージを持てば、その方面への道が開けます。でも、技術はすぐに陳腐化するので、職業訓練よろしく大人用のプログラミング言語を教え込んでも、あまり意味はありません。子どもたちにとっては、目の前のことが自分にとって意味があるか、おもしろいかつまらないか、が全てですから。将来役に立つからと理屈で言われても、まったく響きません。
――なるほど。
プログラミングの学習は面倒くさいものなので、自発的に取り組むなら良いのですが、他人に教えるのはすごく難しいです。私も大学でプログラミングを教えたことがありますが、方法をかなり工夫しないと、学生の8割は簡単に脱落してしまいます。最初は興味津々でも、必要なお作法や概念がどんどん増えると扱いきれなくなって、友だちのプログラムを写すのがやっとになるんですね。小学生に同じことをやったら、なおさらダメでしょう。
その経験でわかったのは、全員一律に課題や進度を設定して解かせるようなやり方ではうまくいかないということです。
――それではどうすれば、小学生でもプログラミングを学べるのでしょうか。
子どもたちが日常生活や遊びのなかでやってみたいこととプログラミングとを、上手くリンクさせることです。子どもたちの興味と動機づけこそ、プログラミングを学ぼうとする最大のエンジンになります。きっかけは機械仕掛けのシミュレーションでも、ゲームでも、アニメーションでもかまいません。
たとえば、最初のうちはいくつかプログラミングのサンプルを示してみます。子どもの関心に引っかかれば、今度はオリジナルのものが作りたくなってきます。
子ども自身がやりたいことをつかんだら、指導者はゴールに近づくためのヒントを小出しに与えるという方向性がいいと思っています。
プログラミングのための作法やヒントの探し方は、いったん理解すればあとは他人に指図されなくてもできるようになりますし、つまずいたところや疑問に思ったところを指導者に相談できるようになれば、学習の速度はどんどんアップします。
――それを実現するため、教育の現場に必要なことはなんでしょうか。
指導方法に工夫が必要です。先生が一方的なシナリオで縛ってしまうと、子どもはどうしても受け身になってしまいます。子どもが動き出すきっかけをうまく与えること。試行錯誤する時間をたっぷりとること。子どもの目線で向き合い、彼らがやりたいこと、解決したい問題に丁寧に耳を傾けつつ、教えすぎない程度にヒントを示すことです。子ども自身がゴールを決めたら、投げ出さず工夫するように応援すべきでしょう。

――一律にカリキュラムを作っても意味はないのですね。
はい。指導側が引っ張ってよいのは最初だけです。それぞれの子どもの関心に合わせるべきだと思います。
ほかには、遊びに還元できる要素やサプライズがあるといいですね。たとえば、マインクラフトでつくったオブジェクトを3Dプリンターで実物にしたり、アプリでつくった電子ブックを実物の本にしたりすると、アウトプットのイメージがはっきりするので、子どもはがぜん興味を持ってくれると思います。
繰り返しになりますが、子どもにとっては目の前のことが自分にとって意味があるか、面白いかどうかが一番重要です。子どもにしてみれば、プログラミングの作法や論理的な思考などは、あくまでやりたいことを実現するための方法であって、たまたまあとからくっついてくる程度のものです。
それを意識しないといけないのは、授業を組み立てる大人です。ただし、教えるべき理屈を先に立ててしまうと、プログラミングは子どもにとってただ単に小難しくて、二度とやりたくないものになってしまいます。
小学校段階のプログラミングでは、これを知識として獲得しなければならないという縛りがないので、子どもたちの興味関心からプログラミングへのつながりを引き出すこと、プログラミングを通じてモノを作り出す楽しさを感じてもらうことに注力してほしいですね。